壁のない特別



沢村と降谷が一軍の先輩方との強制的な交流を御幸に押しつけられて以降、 青心寮では部屋の枠を超えた交流が活発化していた。
発端は二人がチームメイトにその話をした事にある。
憧れの先輩方との交流を羨ましがるチームメイトと一緒に彼らのもとを訪れる事を何度か繰り返した結果、
先輩後輩があちこちの部屋へ遊びに行くのがだいぶポピュラーになっている。
沢村もその波に乗って遊びに行ってはいるが、一か所だけどうしても行けない部屋がある。
「何日同じ事やってんだお前……」
もう何度目になるだろうか。
今日も行きたくて行けない部屋から少し離れた位置佇む沢村に、その部屋の住人の一人である金丸が呆れ顔を向ける。
「クリス先輩は嫌な顔したりしねーぞ。わかってんだろ?」
「いや、でもやっぱり恐れ多いというか……」
沢村が行けない部屋。それは敬愛してやまないクリスの部屋だ。
遊びに行って日常を少しでいいから共有したい。
しかし邪魔に思われてしまった時の事を考えると怖くなり、足が止まる。
きっとクリスは言葉にもしないし顔にも出さず、優しく受け入れる。
それを知っているから邪魔はしたくない。けれど遊びには行きたい。
その思いが沢村をクリスの部屋の傍まで行かせて、中には入らせない。
「お前クリス先輩に対してだけはまともに気遣うんだな」
「だってクリス先輩だぞ」
「わかったわかった。お前にとっては特別なんだよな」
沢村のよくわからない反論を簡単にまとめると金丸は深々とため息をつく。
「いくら特別でも伝わらなかったら意味ねえぞ」
そして、少しだけ助言。
立ち止まってくすぶっている姿は沢村らしくない。そう思うから言葉で背中を押す。
「さて、俺はどっかの部屋遊びに行くかな」
そう言うと金丸は沢村に背中を向けた。
どんな行動を取るかなど、確認しなくてもわかっている。
間違いなく当たって砕けに行くだろう。
小さく聞こえたよし、と気合を入れる声に満足げに笑うと金丸はどこに転がりこむか考えながら歩きだす。

「し、失礼します!」
ドアが開く音がして、聞こえてきたルームメイト以外の声に机に向かっていたクリスが振り返ると、沢村がいてぺこりと頭を下げてきた。
「どうした? 何か質問でもあるのか?」
「あ、いや、そうじゃなくて……」
歯切れの悪い言葉に何か良くない事でもあったかとクリスは軽く眉を寄せる。
「沢村?」
言いやすいようにとクリスがなるべく優しく呼びかけると視線を泳がせていた沢村が意を決したように前を見据える。
「あの、遊びに来ました!」
「……遊びに?」
何を言い出すのかと身構えたのは完全に無駄になった。
緊張感のかけらもない来訪理由にほっとしつつ、そこまで真剣に言う事かと苦笑するクリス。
「そういう時はもっと気軽に来い。何があったのかと思ったよ」
「す、すみません」
「いいからあがれ。遊びに来たんだろう?」
「はいっ」
嬉しそうな顔で沢村が靴を脱ぐ。それをきちんと揃えてクリスの傍に来ると、期待に満ちた顔で口を開いた。
「クリス先輩、本当に気軽に来ていいですか?」
「遊びに来るのに身構える必要ないだろう」
クリスの答えに沢村の喜びは最高潮に達した。
「本当ですね! 俺来ますよ! 暇さえあれば来ますよ!」
これ以上の幸せはないとばかりに笑顔で念を押す。
「本当だから落ち着け」
以前なら鬱陶しいと感じていたであろう沢村の懐きぶりも今は笑みが浮かんでしまうほどに馴染んでいる。
変わったのだとクリスは実感する。それは自分にとって好ましいもので、そう思わせてくれる沢村も同様だ。
「はいっ! クリス先輩、勉強してたんですか?」
「まあな。お前の勉強も見てやろうか」
「俺、本気でバカなんですけど……」
「よく知ってるよ」
今更な事を言う沢村に笑うとクリスは机から離れて部屋のテーブルの方へ沢村を促す。
「今日は遊びだろう? まあ座れ」
「はい、失礼します」
「正座もしなくていい。楽にしてろ」
飲み物を出してやりながらかしこまっている沢村に苦笑する。
「お前は俺の前だといつも神妙だな」
「はいっ! クリス先輩に失礼な事はしたくないですから!」
足は崩したものの、敬礼しながら返答する沢村にクリスはちょっとした意地悪を思いつく。
早速、仕掛けてみる事にした。
「それが壁を作られているように感じる、と俺が思ってたらどうする?」
「か、壁じゃないです!」
予想通りに慌てて否定して来る。
反応に満足して冗談だと告げようとするクリスを遮る勢いで沢村が言葉を続ける。
「クリス先輩には俺、絶対失礼な事はしたくなくて! 大事だから特別なんです! あ、でもそれって壁?」
自分の反論に疑問を感じて考え込んでしまう沢村がそれ以上思考の迷宮に陥る前にとクリスは声をかける。
「冗談だ。壁だなんて思ってない。むしろ近付こうとしてくれてるのは知ってるさ」
頭に手を置いて笑いかけると、沢村の難しい顔がほどけて笑う。
その様を見ていると、もっと喜ばせようとさらに言葉を重ねてしまう。
「特別も嬉しいぞ。後輩からそこまで好かれるのは先輩冥利に尽きる」
「へへっ、俺クリス先輩の事大好きですから!」
大好き、にクリスの心臓が跳ねる。
鼓動が早まり急に沢村の顔を直視できなくなった。
「クリス先輩?」
どうしたのかと首をかしげる沢村に、なんとか答えらしきものを絞り出す。
「面と向かって言われると恥ずかしいな……」
そう。ただ後輩に慕われているだけなのにこんなにも動揺するのは初めて言葉にされたから。
いきなりの事に驚いたから。
きっとそうなのだとクリスは自分を納得させる。
「おお、クリス先輩が照れてる……」
沢村はクリスの珍しい様子を見て驚きながらも楽しそうだ。
「面白がるな」
「違います、嬉しいんです。俺、こういういつも見られないクリス先輩見たくて来たから」
クリスが顔を背けた方に回り込み、目を合わせて沢村が言う。
幸せそうなその顔を見ていると目がそらせなくなっていた。
「素のクリス先輩も好きです」
脈拍の加速が進み判断力は低下する。
気がつけば、温かく柔らかく笑いながら言う沢村に手が伸び抱きしめていた。
「沢村、好きは安売りしていい言葉じゃない」
「え……あ、すいません」
「違う。謝らなくていい。ただ、もっと大事に使ってくれ。なるべくなら俺だけに」
理性などもう吹き飛んで、クリスは想いのままに言葉を紡ぐ。
「クリス先輩……これ、誰か帰ってきたらちょっと恥ずかしいです」
腕の中の沢村がもぞもぞと動く。
暴走がひと段落して戻って来た理性ではっとしたクリスは沢村から身を離す。
「あ、ああ。悪いな。少しわけがわからなくなったんだ。驚いただろう?」
「少し。でも嫌じゃないからいいっす」
「そうか」
「はい。あと俺、クリス先輩以外には好きって言いません」
先ほどの事はなかった事になる。そう思っていたクリスの思惑を裏切る沢村の言葉。
沢村はきちんと聞いて、受けとめていた。
「言葉自体は使うけど、使い方? 本当に好きな好き? はクリス先輩だけにします」
うまく言えなくて疑問符を飛ばしながらも沢村はクリスの想いに応えると、そういう意味の返事をした。
「沢村」
「抱きつくのはダメですよ。誰か来たら恥ずかしいし。クリス先輩って結構情熱的ですね」
沢村がからかってきたので思わず伸ばした手は頭を小突くのに使う。
二人の間に少しだけあいた距離。
でもそれは心の距離とイコールではなくて。
壁のない特別が、お互いの心にできた。


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